連載 No.5 2015年5月31日掲載

 

見失いたくないフィルムのすばらしさ


10年前にニューヨークで個展を開いた時のこと。

「これはデジタルではなく、フィルムのカメラで撮影しているのか?」という来場者の質問があった。

ごく普通の会話だが、彼がフィルムカメラのことを“old film camera”と言った事に、

少し戸惑いながら、なるほどと思った。



 私はモノクロームの作品には、フィルムのカメラしか使わない。

その当時でも、フィルムのカメラは、古いもの、現代的ではないものとして、デジタルのカメラと区別されていた。

そして最新型のデジタルカメラを生産する現在の日本において、その意識はさらに顕著だ。

情報の記録、伝達としての用途であれば、機能的に便利な方を使用すればよいから、

しいもの、古いものとして、機能の優劣で比べることもできる。

 ところが、美術として、芸術家の素材という意味では、両者には大きな隔たりがある。



単に解像度とかのスペックだけでは比べられない、手触りのような感覚、表現の奥行きがあり、

別の素材という認識だ。それが、どこから生まれてくるのかは、簡単には説明することが出来ないが、

例えるならば、デジタル音源のCDと、レコード盤の違いのようなもの。

数値化して認識することの出来ない様々な情報が、フィルムの中に無意識に取り込まれている。

 もちろん、フィルムを使うアーティストは多いわけではなく、むしろ、少数派というのが現状だ。

国内外のほとんどのメーカーは、フィルムの製造販売を縮小し、将来的な供給が危ぶまれている。



では、フィルムはなくなり、すべての写真がデジタルカメラに置き換わるのか? 

おそらく、企業戦略的にはその方向だが、アーティスト側からすると、そのようなことはないような気もする。

 例えるならば、漆がなくなるから、明日からウレタンの塗装で漆器を作るとか、

木工の代わりにプラスティックの樹脂というのがありえないように、

全ての写真家がフィルムや、印画紙の使用をやめるというのは、考えにくい。



 将来なくなるから、新しいものに切り替えようという考えは、アーティストには、現状を見失うひとつの要因かもしれない。

優れたフィルムや印画紙はまだ作られている。そのすばらしさを見失ってはもったいない。

 私は20年前に作られたフィルムを冷凍保存してまだ使っていたりするのだが、

今回の写真は、現代のフィルムで撮影している。

国内大手メーカーのシートフィルムを、古典的な現像処方(焦性没食子酸)で処理し、

印画紙はロサンゼルスの写真用品店のオリジナルブランド。

 撮影は2013年暮れ、北海道のサロベツの海岸線。撮影時の想像を超えるフィルムならではの仕上がりだ。